コロンビアの歴史

半世紀を超えるコロンビアのヒストリー。オレゴンからアウトドアの未来が創られていきます。

1938 - 1960's1960's - 1970's1980's - 1990'sNow & Future
1938 - 1960's  コロンビアの歴史は、オレゴンから始まった。
コロンビアスポーツウェアカンパニーの創始者ポール・ラムフロムは、家族と共に
ドイツから新天地アメリカへと渡ります。新たなる夢を抱いて辿り着いた地は、
オレゴン州ポートランド。

1938年、ラムフロムは小さな帽子問屋の権利を買い取り、 コロンビア川にちなんで、
社名をコロンビアハットカンパニーと命名。コロンビアスポーツウェアカンパニーの
記念すべき第一歩です。

ガート・ボイルは、まだ10代だったこの頃から家業をサポートしています。
そして後にガートの夫となり、コロンビアの社長となるニール・ボイルも、
1950年よりラムフロム家の事業に参加。1960年、ポールとニールは自社での製品生産を始めます。

コロンビアハットカンパニーは、スキーグローブ製造会社コロンビア・マニファクチャリング・カンパニー
と合併し、ここにコロンビアスポーツウェアカンパニーが誕生します。
1960's - 1970's  コロンビアと
コロンビアのファーストといえるマルチポケットフィッシングベストの開発から4年。
これからという時期に、ガート・ボイルの父であり、創始者である
ポール・ラムフロムが逝去。そして社長を引き継いだ夫ニールもまた1970年に急逝。

ガートの元に残されたのは3人の子どもと多額の借金でした。彼女は
コロンビアを売却することを決心します。しかし、会社に対する評価は驚くほど低く、
提示された最高額でも
負債を返済するのがやっとという数字でした。
ガートはここで決意を新たにし、まだ大学4年生だった息子ティム・ボイルとともに、
再建の道を歩み始めます。

彼女が目指したのは、細々と家業を続けることではなく、
亡き夫ニールが志半ばにして遂げられなかった拡大戦略を引き継ぎ、
それを成功させることでした。過酷な再建の日々。
しかしコロンビアは着実に基盤を築き上げていきました。
1980's - 1990's  そして、全米ナンバーワンへ。
そして80年代に入ると、いよいよコロンビアの快進撃が始まります。
その第一に挙げられるのが、1982年の“インターチェンジシステム”の登場でした。

それは現在もコロンビアの代表的なアイテムであるスリー・イン・ワン・ジャケットで
実現した画期的な機能。アウタージャケットとインナージャケットを
ジッパーで脱着して3ウェイの着こなしができる“インターチェンジシステム”は、
爆発的な人気を集めました。

そしてこのシステムを採用した“バガブーパーカ”は、
1993年には全米で販売数が100万枚を越えて、米国内アウトドアウェアの
年間最多販売記録を打ち立てるまでになります。

1989年、ついにコロンビアスポーツウェアは、アウトドアウェアブランドとして、
アメリカ国内でシェアNO.1の座に着きました。夫ニールの旅立ちから19年目のことでした。
オリジナリティがメッセージを発信する
コロンビアのオリジナルアイデアはマルチポケットベストや
“インターチェンジシステム”だけではありません。

独自のカッティング“ラジアルスリーブ”、高レベルの防水性と透湿性を
両立させた“オムニテック”、画期的なベンチレーションを実現した
“ラジアルベンチングシステム”など、現在も多くのアイテムに採用されている
オリジナル素材や機能の数々がフィールドへと広がっていきました。

これらすべては、コロンビアのデザイナーが実際にフィールドに立ち、
自分で感じ、人々の声を集めて誕生したものです。ここにはかつて
ガート・ボイルが、初めてフィッシングベストを作った日の思いが
しっかりと生きているのです。

マザー・ボイルとコロンビアスポーツウェアは、アウトドアを愛する
すべての人々に、品質を通じて新しいメッセージを送り続けています。
Radial SleeveOMNI-Tech™Technology
OMNI-Dry™Technology
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